2011年03月04日

ハンセンとの出会い⑥

これで6記事目となりました。まだまだまとまりそうにないです・・・
ですが、ぜひこれからも読んで下さい!!

説明が少なかったと思うので、今更ながら簡単に説明を。

この記事を書いている私は、プロジェクトKの学生メンバーで、奥田と申します。現在大学4年で、この記事に出てくる出来事は、私が中学3年生の頃、つまり8年近く前のことです。記憶が曖昧で時間軸がずれている部分もあるかと思いますがご了承下さい。ご質問等あれば、コメント等でお願いします若葉 喜んでお答えします!
それでは・・・




阿部さんのお話は、その時々の光景が目に浮かぶようで胸がしめつけられました。その場にいた友達も同様だったと思います。山田先生と担任の先生は涙していました。

つらいお話。
涙をこらえる時間。

でも、そのときはまだまだ知識が足りず、阿部さんのお話の裏にある、ハンセン病にまつわる歴史の重さ・問題がわかっていませんでした。


そのことは、次の日、志村康さんのお話を聞いて抱いた自分の感想からも分かります。

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志村康さんは、昭和8年生まれ。現在78歳。小学校5・6年生の頃に発病。昭和23年、15歳の頃に入所。
(このときとったメモをもとに)

以後、独学で社会科学の勉強を始め、六法全書をひもどき、ハンセン病患者の隔離は人権を踏みにじる憲法違反だと確信を持つようになったという。
(参考http://www.gendaiza.org/hansen/h003-1.htm
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志村さんは、とても明るく話されるのでびっくりしました。

阿部さんのお話に聞き入っていた私たちですが、正直、志村さんのお話は難しすぎて・・・。


志村さんが、長々とされる「戦争」の話とハンセン病がどうして関係あるのか。「法律」と「宗教」のお話の意味。

そのことの意味が当時はほとんど分かりませんでした。


志村さんは、ハンセン病訴訟をおこそうと一番最初に立ち上がった第一次原告13人の中の一人です。ご承知の通り、ハンセン病訴訟とは「らい予防法は違憲であった」ということを国を相手に訴えた裁判のことです。

そんな志村さんの「おかしいと思うことをおかしいと言う」という言葉にはどれほどの重みがあったのでしょうか。


今になってやっと気づきます。

当時は分かったつもりになっていた。

でも学び続けることに意味がありますね。
まだまだ浅いとは思いますが、当時より阿部さんや志村さんの言葉がひとつひとつ重みを増してきたように思います。


「ハンセン病はうつらない。だから差別をしてはいけないというのはおかしい。前提に差別はダメ」。


「いろんな病気を持つ人がいる。障害を持つ人がいる。後遺症は過去のなごりであり、今は違う。私もそうだが50年前に病気は治っているんだよ」。



今でも思い出す言葉があります。

「他人がどうあれ自分がどうあるか」。

私たちは、人を差別してしまう弱い心とどれくらい向き合うことができているでしょうか。

その心は、理性というよりは、人とのつながりのもとで生まれる温かい感情でこそ、きっと越えていけるのだと思います。


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