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Posted by おてもやん

2011年03月05日

トキエさん誕生日♪

昨日卒業旅行で行っていた台湾から帰ってきた佐郷ですラブ
台湾、楽しかったですチョキ

遅くなりましたが・・・・
2月25日がトキエさんの誕生日ということで、
26日に奥田さんとトキエさんのお宅に行き、
お誕生日のお祝いをしてきましたエヘッ



トキエさんのお宅に行くと、ちょうど職員の方々が
トキエさんの誕生日のお祝いをしているところでした。
トキエさんは笑顔で迎えてくださり、緊張していた私ですが、
一気に緊張が和らびました!!

奥田さんと作ったプレゼントと奥田さんが買ってきてくれたお菓子を
トキエさんにプレゼントしましたにっこり
プレゼントはこんな感じです↓↓





トキエさんは喜んでくださり、すごくうれしかったですぬふりん
2年前にもお誕生日のプレゼントを渡したのですが、
そのことを覚えてくださったおり、
このことも、とてもとてもうれしかったですハート

ごちそうがあり、それをいただきながら
写真を撮ったり、色々トキエさんとお話をしたりしました。
トキエさんは優しく、ずっと笑顔で、
なんだかとても癒されましたメロメロ

1時間ほどしかいなかったのですが、
あっという間に時間が過ぎてしまいましたげんなり
短い時間でしたが、たくさん笑って、すごく楽しい時間でした猫

あと、私はトキエさんの絵がすごく好きですハート
今でもたまに描いているようで、部屋にたくさん飾ってありました!!
見習いたいものです・・・ガーン

今回、お誕生日のお祝いに行き、
上手く言えないのですが、
何だか、人と関わるってステキなことだなと実感しましたラブ
人とのつながりを大切にしていこうと改めて思いました晴

またトキエさんのお家に行き、たくさんお話したいですハート
そして・・・
トキエさん、お誕生日おめでとうございます桜
いつまでも元気でいてくださいねぬふりん!!


  


Posted by knakama │Comments(0)

2011年03月04日

3月6日(日)交流学習会

6日お天気がいいといいのですが・・・晴

私が大学で入っているサークルのメーリングリスト等で呼びかけたところ、現在5名の学生さんから行きたいという連絡をもらいました!
なかには、ほかの友達を誘ってもいいですか!?という言葉までうるうる

嬉しいですね!!
当日はプロジェクトKの大人のメンバーの方、入所者や退所者の方もいらっしゃいますよキラキラ

学生はほとんどが初めてくる人です!
このブログを読んでくださっている方で、まだ迷っていらっしゃる方がいましたらぜひご参加ください若葉

当日参加も受け付けますが、お菓子・飲み物・名札等の関係で人数を把握したいので事前にご連絡頂けると助かります。

ご連絡はokuda_fusako▲yahoo.co.jpまで
(▲を@に変えて、メールお願いします)
  


Posted by knakama │Comments(1)3月6日 交流学習会

2011年03月04日

恵楓園に遊びに行ってきました♪

今日は寒いですねアウチ

そんな寒い中、阿蘇に行ってきました!
なぜかというと、昨日・今日と小・中・高と同じ学校だった女友達が福岡から遊びに来たからです!!同様に、熊本にいる幼なじみの男友達を誘って、3人で大観峰へ。


市内から阿蘇へ向かう途中、恵楓園を通りました。

「阿部さんって元気にしちょん?新聞で保育所ができるっち知ったよ。帰りに恵楓園に寄ろうや」。



今日は3月4日。


7年前の今日は、私たちの中学校の卒業式でした。
その日は今日以上の寒さで、3月にしてはめずらしく大分でも雪が積もったのでした。


「卒業式に阿部さんを招待したい」。


現在記事として少しずつ書いている阿部さんとの出会いですが、夏休みに恵楓園を訪れて以来、学級で20時間以上の時間をかけて「ハンセン病に学ぶ」の学習を行いました。阿部さんにもその間2・3度お会いし、ますます阿部さんが大好きになった私たちは、阿部さんにぜひ卒業式を見てもらいたいと思ったのです。


当日、雪の中を熊本からかけつけて下さった阿部さん夫妻。


「私にとっても初めての卒業式になりました」。



阿部さんは小学6年生のころから学校に行っていなかったため、卒業式にも出ることができませんでした。阿部さんにとっても大きな意味を持った私たちの卒業式。それがとてもうれしかった。

式が終わってから、教室で阿部さんから一人一人花をもらい握手をしました。私たちにとって阿部さんとの出会いは、卒業するにあたって欠かすことのできない出会いでした。


大事なときには阿部さんがかけつけてくれます。
私たちが20歳になったときの成人式にも・・・。


「懐かしいね」
「卒業してから、みんなで恵楓園に泊まりに行ったよなぁ」


二人の友達は、阿部さんとは成人式で会ったとき以来。

「私のこともう覚えちょらんかもしれんなぁ・・・」
友達が不安げに言います。



「・・・ううん、きっと覚えてる」

講演に行く学校の子どもたちの写真があれば、覚えて行ったり、二度目に会う子どもたちであればこんな子だったよねとお二人で話したり。私にも、「○○ちゃんは就職決まった?」「○○君は今何してる?」と聞いてくれるような子どもが大好きなやさしいお二人です。絶対覚えてくれてるよ。



「お久しぶり」

そんな私たち3人を、旦那さんが明るい笑顔で迎えてくれました。
突然だったにも関わらず、暖房を入れて、机と座布団、それからお茶とお菓子まで準備して待って下さっていました。ひとつひとつの優しさが身にしみます。

旦那さんも覚えて下さっていたようで、4人で卒業式の話に花を咲かせていました。遅れてきた智子さんの手には、以前私ももらったことある革細工のキーホルダー。

「どれが好きかな?」

二人へのプレゼントまで持ってきて下さったのです。
二人とも大喜び。

近況を話したあと、友達のうちの一人は初めて恵楓園に来たため、車で園を回って見学。
納骨堂では5人で手を合わせました。

亡くなられたお一人お一人の人生に思いをはせます。
左端のお骨から、現在に近い右端のお骨へ・・・。現在に近づくにつれて、私たちはどんなひどい差別をしてしまったのだろうか。それを私たちは学び伝えていかなければならないと。



3人で来てよかった。
あまりゆっくりできなかったにも関わらず、分かれ際の嬉しそうなお二人の笑顔が心に残ります。

「阿部さん、また遊びに来ます。」

  


Posted by knakama │Comments(0)あれこれ

2011年03月04日

ハンセンとの出会い⑥

これで6記事目となりました。まだまだまとまりそうにないです・・・
ですが、ぜひこれからも読んで下さい!!

説明が少なかったと思うので、今更ながら簡単に説明を。

この記事を書いている私は、プロジェクトKの学生メンバーで、奥田と申します。現在大学4年で、この記事に出てくる出来事は、私が中学3年生の頃、つまり8年近く前のことです。記憶が曖昧で時間軸がずれている部分もあるかと思いますがご了承下さい。ご質問等あれば、コメント等でお願いします若葉 喜んでお答えします!
それでは・・・




阿部さんのお話は、その時々の光景が目に浮かぶようで胸がしめつけられました。その場にいた友達も同様だったと思います。山田先生と担任の先生は涙していました。

つらいお話。
涙をこらえる時間。

でも、そのときはまだまだ知識が足りず、阿部さんのお話の裏にある、ハンセン病にまつわる歴史の重さ・問題がわかっていませんでした。


そのことは、次の日、志村康さんのお話を聞いて抱いた自分の感想からも分かります。

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志村康さんは、昭和8年生まれ。現在78歳。小学校5・6年生の頃に発病。昭和23年、15歳の頃に入所。
(このときとったメモをもとに)

以後、独学で社会科学の勉強を始め、六法全書をひもどき、ハンセン病患者の隔離は人権を踏みにじる憲法違反だと確信を持つようになったという。
(参考http://www.gendaiza.org/hansen/h003-1.htm
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志村さんは、とても明るく話されるのでびっくりしました。

阿部さんのお話に聞き入っていた私たちですが、正直、志村さんのお話は難しすぎて・・・。


志村さんが、長々とされる「戦争」の話とハンセン病がどうして関係あるのか。「法律」と「宗教」のお話の意味。

そのことの意味が当時はほとんど分かりませんでした。


志村さんは、ハンセン病訴訟をおこそうと一番最初に立ち上がった第一次原告13人の中の一人です。ご承知の通り、ハンセン病訴訟とは「らい予防法は違憲であった」ということを国を相手に訴えた裁判のことです。

そんな志村さんの「おかしいと思うことをおかしいと言う」という言葉にはどれほどの重みがあったのでしょうか。


今になってやっと気づきます。

当時は分かったつもりになっていた。

でも学び続けることに意味がありますね。
まだまだ浅いとは思いますが、当時より阿部さんや志村さんの言葉がひとつひとつ重みを増してきたように思います。


「ハンセン病はうつらない。だから差別をしてはいけないというのはおかしい。前提に差別はダメ」。


「いろんな病気を持つ人がいる。障害を持つ人がいる。後遺症は過去のなごりであり、今は違う。私もそうだが50年前に病気は治っているんだよ」。



今でも思い出す言葉があります。

「他人がどうあれ自分がどうあるか」。

私たちは、人を差別してしまう弱い心とどれくらい向き合うことができているでしょうか。

その心は、理性というよりは、人とのつながりのもとで生まれる温かい感情でこそ、きっと越えていけるのだと思います。
  


2011年03月03日

ハンセンとの出会い⑤

恵楓園内の交流荘というところで、私たちは阿部さんを囲むように座りお話を聞きました。


阿部さんは1940年生まれ。当時は63歳で現在は71歳です。
16歳の頃から、もう50年以上も菊池恵楓園で暮らしています。


阿部さんは、恵楓園に入るまでのこと、お母さんとの別れ。
病気に対する差別によって、苦しんだ経験・・・を涙しながら私たちに話して下さいました。

私は涙をぐっとこらえました。私が泣いてはいけない。



阿部さんの話には驚くことばかりがありました。

恵楓園に入ったこと、ハンセン病であることが世間に知られては、家族に迷惑がかかってしまう。だから「阿部智子」という名前も偽名であること。

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昔は、ハンセン病は、うつる病気、怖い病気として考えられていました。しかし、1943年にプロミンという特効薬ができてからは(日本では1949年に予算化)、完治する病気として世界的にも隔離の必要はないと認められました。もちろんそれまでにも、療養所等で働く医者や看護師さんに感染する者がいなかったことなどから、感染力は非常に弱かったことも知られていました。しかし、世界の動きに逆行するように日本は強制隔離を継続し、1996年まで誤った法律が存在することとなったのです。このことによって、世間は恐ろしい病気という誤った知識をうのみにしてしまったのです。
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大好きだったお母さんの最期を兄弟に教えてもらえなかったこと。
知らされたのは何ヶ月後かで、毎日毎日母の夢を見たこと。


「落ち着いて考えると、母も苦しい人生だったと思うから、あぁよかったね、楽なところにいけてよかったねという気持ちになれたの。そうすると夢を見なくなったわ」。


今でこそ「語り部」と言われ、子どもから大人にまで語っていらっしゃる阿部さんですが、当時は国賠訴訟に勝訴してまだ2年。つらく長かった人生を語ることはきっと少なかったでしょうし、話すことで鮮やかになる思い出を受け止めるのは、本当はきつかったはずです。

当時のメモを今読んでいても、阿部さんの言葉には、「苦しい」「生きる」「死ぬ」「命」といった言葉がたくさん出ていたことが分かります。



「でもね、苦しくてつらくても、泣きながらでも話さないと伝わらない」。

そう言って、阿部さんはひとつひとつ紡ぎだすように、中学生の私たちに語って下さったのです。




※話に出てくる養護教諭の山田先生は、左のカテゴリーにある「山田 泉さんと菊池恵楓園」でも紹介されています。また、山田先生のブログでもhttp://yamachan.biz/ 知ることができますので、ご覧下さい。
  


2011年02月27日

ハンセンとの出会い④

「もうそろそろだと思うんだけど・・・」。

私たちが案内を見つけられなかったからなのか、まだまだそのころ案内がなかったからなのか。私たちは恵楓園を探していました。

初めて恵楓園について思ったこと。それは「広い」のただ一言でした。私が思い抱いていた、病院のような建物と建物に面した庭が広がっているようなところ、というイメージは払拭されました。

「えっすごい!お店まであるよ」。

そのときの私は、お店も、理髪店も、洋服屋もなんでもあることの意味が分かっていませんでした。


「一度入ったらもう二度と出ることはできない」。

生活に必要なものはそろえて、文句が出ないようにする。
ここで生涯を終えさせる。


そのことが分かったのは、阿部さん夫妻と志村さんのお話を聞いてからでした。


恵楓園に着いた私たちは、その日泊まる予定の恵楓荘の前へ。
車から降り、振り返ると、すでに駐車場で待って下さっていた阿部さん夫妻に出会いました。

「なんかすっごく優しそう!」

楽しみではあったものの自分たちなりに何か深刻な問題を学習しに行くんだという思いで構えていた私たちは、そのお二人の優しい雰囲気にとても安心したのでした。  


2011年02月27日

ハンセンとの出会い③

「きくちけいふうえん??」

ハンセン病と聞いて、そのとき一番に思い浮かんだこと。
それは、2001年5月の国賠訴訟の判決が出たときのことで、小泉首相が謝罪している場面の映像でした。もちろんそのときは、訴訟のことも判決のことも全然わかっていません。ただ、小泉首相と裁判所がおぼろげながら浮かびました。


1泊2日!それも山田先生と!
なんだかドキドキワクワクしていました。

そんな私たちの気持ちは、事前学習と山田先生の気持ちを聞くことで真剣な想いに変わりました。

事前学習では、「人間として」という番組見ました。また当日お話を聞く阿部智子さんのことも勉強したような記憶があります。でも、そのときは阿部さんに送る手紙に「ハンセン病になると頭が痛くなったりお腹が痛くなったりするんですか?」と質問を書くくらい、知識もそれまでの歴史も全然わかっていませんでした。


番組を見て自分がどう思ったか・・・残念ながら今そのことは覚えていません。


でも、山田先生の話は鮮明に私の中に刻まれました。


山田先生がどうしてもハンセン病の学習をしたかった理由。
そのきっかけを先生はこんなふうに話してくれました。


****************************

私が大学生のころ、菊池恵楓園に行ったことがあってね。
夏の暑い日だった。
恵楓園にいらっしゃる人が丁寧に案内してくれてね。
最後にお茶まで出してくれたんよ。
あたしは何も考えずに、やった!と思ってごくごく飲んだわけ。

そしたらその人がすごくびっくりしてて。
きょとんとしてたら「あなたみたいな人はめずらしい。病気がうつるんじゃないかと思って、ほとんどの人は一口もお茶に口をつけないんです。」って言ったんよ。

でも、あたしも差別する側やった。

このとき仲良くなった方が、あたしのうちに『菊池野』っていう冊子を送ってくれていたんよ。それも5年間も。でもあたしは一通の手紙も書かんやった。親から「これは何なん?」って言われても、「ハンセン病療養所にいる友達からの」って言いきらんかった。だから、恵楓園に行ってごめんなさいって謝りたいんよ。

****************************

8月11日、12日。
私たちは山田先生と担任の先生、それから保健部のメンバー計8名で恵楓園を訪れた。  


2011年02月27日

ハンセンとの出会い②

続きが遅くなってすみませんうるうる
さっそく書きます!



山田先生は4月の段階ですでに、今年度はハンセン病についての学習をするんだと考えていました。そんな先生の思いを、聞かされた記憶があります。

しかし、4月からハンセン病の学習が始まったわけではありません。

「いのちの授業」ということで、
ホスピスで働いているお医者さん・大学で性について教えている先生・訳あって家族と暮らせない子どもたちのための施設を運営しお父さん的な存在をされている方など・・・
本当にたくさんの方が学校に来て下さり、私たちに向き合って語って下さいました。

本当にお一人お一人のお話に、自分自身が揺さぶられ、考えさせられ、学んでいった時間でした。

そのことも書きたいのですが、今回はハンセンとの出会いを中心に。


でもひとつだけ・・・
大学で性について教えていらっしゃる先生のお話の中に、とても印象的だったこんなエピソードがありました。

*****************************

僕は同性愛者の方と接する機会も多いんです。
あるとき、僕は同性愛者の方に「なんであなたは同性愛者なの?」と聞いたことがある。

すると、彼はこう言いました。

「先生は、どうして異性愛者なんですか?」

****************************

このエピソードを聞いたとき、私は頭をガーンとなぐられたような気がしました。

私は異性愛者です。しかし、どうして?なんて聞かれても答えられません。異性愛者だと思っているけど、それは好きになった人が異性だったというだけのことかもしれない・・・。

同性愛者の方も、私たちと同じように人を好きになります。自然と好きになった人が同性だったということ、ただそれだけのことなのです。だから、答えられない。

理屈ではない人を好きになる気持ち・・・。それは誰だって変わらない。

私はこのとき、同性愛者・異性愛者という区別よりも何かもっと大切なことに気付かされた気がしました。



学校に来て下さった方は、中学生の私たちに、マイナスな話も失敗談も悩んだ経験も率直に話して下さいました。だからこそ考えさせられ、今でも語れるような自分の思いになっていったのだと思います。



少し話がそれましたが・・・。こんな「いのちの授業」を受けながら、私たちは1学期を終えようとしていました。

もうすぐ待望の夏休み。

そんなとき、山田先生が
「夏休みに、熊本にある菊池恵楓園に行かん?」
と保健部のメンバーに声をかけたのです。
  


2011年02月23日

3月6日交流学習会のお知らせ

お知らせが遅くなってしまいました…すみません!


来月6日に交流学習会をします

◆時間 14:00〜18:30
(途中参加・途中抜けも大丈夫です)
◆場所 菊池恵楓園交流荘
◆参加費 300円(お菓子・飲み物代)


内容は…
入所者の阿部智子さんのお話をお聞きする
恵楓園内の見学
入所者・退所者のみなさんと交流会

です初めて参加される方も顔馴染みの方も大歓迎です!新たな出会いと楽しい時間によって、みなさんに少しでも笑顔になってもらえ、新たな繋がりが生まれたら!と思っています


ぜひご参加下さい
申し込み・お問い合わせ等は、奥田まで!
okuda_fusako▲yahoo.co.jp
(▲を@に変えてメールをお願いします)  


Posted by knakama │Comments(0)主催行事案内

2011年01月30日

ハンセンとの出会い①

奥田です。
寒いですね雪
今日は熊本市でも少し雪が舞っていました!


今日から、私がなぜプロジェクトKに入ったり、入所者の方と交流したりするようになったのかについて書きたいと思います。
長くなるかもしれませんが、よかったら読んでください!


中学2年生のとき、ある先生と出会ったのがすべての始まりでした。
先生の名前は、養護教諭の山田泉先生。

先生は乳がんを患っていたため休職しており、やっと復帰したのが、私が中学2年生の4月でした。上級生の噂で、「すごい先生なんだ」と思っていた私は、さらに新任式での先生の元気のよい挨拶を聞いて「なんか合わないかも・・・」と正直思ったのでした(先生、ごめんね。笑)

でも、なーぜか気づいたら保健室に先生に会いに行くようになっていました。

先生は、性教育やいのちの授業をたくさんしてくれました。どの授業も生徒中心で、いっつも授業では、疑問や感想を言わされるか、書かされるか・・・。
授業が終わると黒板の前や保健室で「今日の授業どうやった?」「分からんとこなかった?」「次こうしようと思うんやけど、どう思う?」「ここどうしたらいいかなー?」と私たちにいつも意見を求めてくるような先生でした。

でも、いつも真剣に本音で向き合ってくれる先生に、「先生は自分のことを見てくれているんだ」と感じ、「先生には自分のことを分かってほしい」と、自分の素直な気持ちをもっと言えるようになっていました。きっとこんな先生だったからすぐ好きになれたんでしょうね。

こんなふうに先生との信頼関係はすぐに出来上がりました。



そして、3年生の4月、「ふーちゃん保健部に入ってくれん?」。

私の中学校では、委員会のことを「部」と呼んでいて、1~3年の縦割りで構成されていました。

大好きな先生からのお願い。

そのためには・・・ジャンケンで勝たなければならない!!

強い想いにより、ジャンケンの神様が舞い降りた私は、
見事、保健部の座を勝ち取り、保健部になったのでしたキラキラ

そして、もう一人勝ち取った人が・・・
そう、私の親友でもある「みーちゃん」です(笑)

このときから先生の頭の中にあった「“ハンセン病に学ぶ”の授業」が動き出したのです。